国民の皆様へ
事業仕分けと科学研究の将来について
〜日本天文学会からの声明〜
私たち日本天文学会は、天文学の研究と普及を進める学術団体です(1)。惑星の運動の研究から生まれたニュートンの力学は、様々な近代科学の原点となり、それらは今日の豊かな社会の礎となっています。21世紀に入っても天文学者は、大型望遠鏡、科学衛星、地下検出器などを開発し、それらを用いてビッグバン宇宙の年齢(137億年)決定、400を越す太陽系外惑星の発見、多くのブラックホールの検出などを行ない、人類の知的財産を増やすともに、高感度センサー技術など、現代社会を支える新技術の先導役も果たして来ました。その中で日本の当該分野は、国際的にも大きな貢献を続けて来ました(2)。こうした天文学研究を支える研究教育体制と研究予算はこのたび、行政刷新会議による「事業仕分け」を受けました。
「仕分け」自体は新しい試みで、これにより、国庫歳入の大きな部分を国債に頼るという異常な財政が健全化されることを願うものです。私たち天文研究者は、研究の大部分を皆様からの税金で支えて頂いていますので、この機をとらえ、研究費を従来にもまして有効に使い、研究成果を社会により還元し、あるべき科学と技術のありかたを見つめ直すべく、厳しい自己点検と一層の努力を行なう決意を新たにしています。しかし今回の仕分けは、本来は十分な時間をかけ、慎重に行なうべき予算の見直しを、短時間かつ少人数で行ない、また答弁が担当官僚に一任されるなど「官僚依存」を脱しきれない作業となった結果、削るべき「無駄」とともに、貴重な「宝」まで捨て去られようとしています。このままでは、天文学を含む多くの学術分野で、人類が長年かけて積み重ねてきた叡智が途切れ、あるいは日本の科学技術立国の一翼を担う基盤が危うくなるなど、深刻な危機が懸念されます。ここに緊急声明を発し、主に以下の4点を中心に、皆様のご理解とご支援を切にお願い申し上げる次第です。
1.大学・研究機関の運営費交付金
危惧の1つは、天文学の教育研究の基盤となる運営費交付金の削減です。全国80余の国立大学法人は、国からの運営費交付金で運営され、国立天文台では同様の特別教育研究経費ですばる望遠鏡等も運用しています。しかし、法人化以降は年率1%で交付金の削減が続き、光熱水料など経常経費を除き、直接研究に使える経費は、5年間で実質20-30%も減っています。教員数も定員削減などに伴い、十数年間で実質1割ほど減っています。国立大学法人等はこのように、骨身を削る努力をして来ましたが、その運営費交付金に対して今回、「国立大学のありかたを含めて見直しを行なう」と仕分けられました。これは民主党の公約「国公立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直します」(3) から大きく後退しており、もし交付金や教職員数がさらに大きく削減されるなら、公立、私立大学支援を含む、「先進国中、著しく低いわが国の教育への公財政支出(GDP比3.4%)を、先進国の平均的水準以上を目標(同5.0%以上)として引き上げる」(3)という公約とも矛盾してしまいます。今回の仕分けの妥当性が検討され、教員定数と運営費交付金等が確保されるよう、強く願っています。
2.若手研究者の養成
第2の危惧は、天文学等の研究を継続的に担う若手に対し、支援削減の判定がなされたことです。若手養成の第一歩の大学院教育は、次世代の研究者だけでなく、企業の研究開発部門へ人材を供給しており、日本の科学技術立国を支える上で、根幹的な重要性をもっています。そのため優れた大学院生に対する日本学術振興会・特別研究員(博士課程枠)(4)や、Global COEなどの施策により、研究専念の環境が支援されて来ました。また博士号取得後の若手は、天文学分野の場合、多くはまずポスドク(PD)と呼ばれる研究員を経て研究職へ進みます。彼らは3年前後の任期の間、不安定な身分にもかかわらず、学術研究の中核として活躍し、大学教員の人員減を補っています (5)。研究員支援の諸制度の中でも、日本学術振興会・特別研究員(PD枠)は、客観的で厳正な審査を経て選抜され、採用者の9割以上が10年以内に常勤職に就くなど、キャリアパスとしても実績をもつ、特筆すべき制度として定着しています。
今回の仕分けでは、現在のPD制度が抱える多くの問題が指摘されました。私たちは真摯にその指摘に耳を傾け、問題を解決しつつ、PDの支援を継続したいと考えています。しかるに今回、これら院生支援やPD制度は、直ちに「縮減」と判定されました。しかも「PDの生活保護ではないか」 (6) という誤解を含む評価が影響しているなら、政治の過誤と言わざるをえません。今回の判定は、すでに採用(内定)している院生や研究員の採用停止を意味し、若手に大きな動揺を与えています。同様に女性研究者支援の1/3削減(7)も打ち出され、「子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済に、税金を集中的に使います」、「コンクリートではなく、人を大切にする政治にしたい」という民主党マニフェストに期待をした若者や女性は、大変落胆しています。このままでは優れた若手が海外流出し、天文学を始めとする学術や高度産業を支え先導する人材が枯渇し、若者の理科離れが加速するなど、長い時間を要する人材育成に、深刻な事態が憂慮されます。支援削減判定の見直しがぜひ必要と思われます。
3.競争的な研究資金
天文学研究の多くは、国からの競争的な研究資金に支えられています。今回の仕分けにおける「競争的資金は、文科省や他省庁を含めて乱立し、無駄の温床」(8)という指摘は、ある面で正鵠を射ており、私たち研究者も、反省すべき点が多々あります。しかし自由な発想に基づく創造性を礎とする学術研究では、様々な分野、手法、研究期間などの違いに応じ、必然的に多様な性格の競争的資金を必要とし、「一元化も含めシンプル化、予算は整理して縮減」(8)では片付けられません。中でも、文科省による科学研究費補助金(科研費)(9)は、主に国公私立大学や研究機関の研究者を対象に(10)、基礎から応用まで、理系・文系を問わず、広範な分野の多様な研究を支えています(11)。科研費は、多数の研究者が審査員となり、公平、厳正、透明な審査で配分が決定され、終了時点の評価も行われるなど、諸外国にも類を見ない制度で、天文学を含む多くの最先端研究が、この科研費による研究を重ねた上に花開きました。科研費の総額は約1800億円であり、民間等の科学技術研究費、諸外国の研究費にはまだまだ及びません。その重要性に鑑み、この科研費制度が健全に維持されることを切望します。
4.大型プロジェクト
天文学研究の進展に伴い、大型の予算を投じて進めなければならない根源的なテーマの研究もあります。このタイプの研究では、多くの場合に国際的な協力が進み、世界中から知恵と技術を持ち寄り、人類全体で根源的なテーマに挑んでいます。皆様のご支援のお蔭で、「すばる」望遠鏡、スーパーカミオカンデ装置(12)、「ひので」衛星(13)など、日本が誇る世界のエース級の装置が誕生し、世界から高い評価を受けています。こうした最先端の宇宙観測装置は、画期的な科学的成果を上げ、国民の皆様に知的興奮をお届けしているとともに、学術分野のみならず、その開発を通じて国内企業に高い目標を提示し、新しい技術開発の先導的な役割を果たしております。私たちは、こうした大型プロジェクトについて、学術分野だけでなく、今後いっそう広く国民の皆様へ明確な説明を行ない、ご理解を頂いた上で、多額の予算支出についてご判断を頂こうと思います。ぜひ短期的な成果主義でなく、長期的かつ世界的な視点で、夢のある大型プロジェクト推進のご支援をお願いいたします。
2009年12月3日
社団法人 日本天文学会
理事長 國枝秀世
(1) 学会員3000名で、多数のアマチュア天文家も含みます。日本天文学会のホームページは
https://www.asj.or.jp/です。ご意見、メッセージ等は、seimei09@asj.or.jpまでお願いします。
(2) たとえば1993〜2001年に活躍したX線衛星「あすか」は、1600篇以上もの査読付き英文学術論文を生産しました。その約1/3は日本人のみの論文、約1/3は日本人と外国人の共著論文、残り約1/3は外国人のみの論文で、大きな国際貢献を行なったことがわかります。
(3) http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/11.html (※現在はリンク先ページなし)
(4) 特別研究員(DC)の給付は、応募資格者の約1/6に与えられています。一方、米国の大学などでは、大多数の大学院生が、こうした給付を受けられます。
(5) 決して望ましい姿とは言えないのですが、ある大学の理学研究科では、130名の定員教員に加え、50名にのぼる特任教員・研究員が活躍しています。
(6) http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov13kekka/3-21.pdf
(7) http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov17kekka/3-39.pdf
(8) http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov13kekka/3-20.pdf
(9) https://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/hojyo/1279326.htm
(10) 高校、中学校、小学校の教諭などを対象とした種目もあります。
(11) 2009年度は、51,000件が採択されています。
(12) 岐阜県神岡鉱山に作られた、大型の水タンクと数千本の光検出器から構成される装置です。宇宙から来るニュートリノが水槽内で作る光を検出し、その到来方向、エネルギーを測ることができます。
(13) 日本で3機目の太陽観測衛星であり、可視光やX線望遠鏡で太陽フレアなど、太陽現象を観測します。